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上州渋川の由来

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 上州は現在の群馬県にあたり、関東平野の北西部にあたる地域です。古くは上毛野国(かみつけぬのくに)、のちに上野国(こうずけのくに)と呼ばれていたことから、上州と呼ばれるようになりました。 古くからの交通の要衝で、五街道の一つである中山道と、関東と越後を結ぶ三国街道が通っています。 また、利根川の水源地に当たり、多数の清水が湧き出る水資源に恵まれた地域です。

 その一方で、火山性の土地であり水はけがよいため、古くから小麦の栽培が盛んでした。そのため、特に山間部では近年まで麺を主食とする習慣がありました。 「麺を打てない女は嫁に行く資格がない」と言われたほどで、麺に対しては独特の思い入れとこだわりを持つ地域です。

 渋川はそんな上州(群馬県)の中央部に位置し、榛名・赤城の山々に囲まれた街です。日本列島から見てもほぼ真ん中に位置することから「日本のへそ」と呼ばれています。

 渋川は三国街道沿いの宿場町として発展しました。今でも街並みや地名にその名残をとどめています。現在は伊香保温泉を訪れる方々や、吾妻温泉郷(草津温泉、四万温泉等)への玄関口として多くの観光客の方々がいらっしゃいます。平成18年(2006年)には旧渋川市と北橘村、赤城村、子持村、小野上村、伊香保町が合併し現在の渋川市となりました。

 これからこの「上州渋川のはなし」では、ここ渋川を皆様により知っていただくために、渋川の歴史や街並み、祭り事などをご紹介します。

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