節句そばの話

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江戸時代にはひな納めの日にそばを供えていました

江戸時代には3月3日の桃の節句(ひな祭り)で、ひな壇に菱餅や白酒、桃の花の他にそばを供える風習がありました。これが節句そばです。雛そばとも呼ばれ、明治に入ってもしばらくの間は続いていたようです。
ひな壇と同時に飾るのではなく、3月4日のひな納めの日にそばを供え、それからひな壇や飾りを片づけました。長く延びるものを供えることで縁起を担いだといわれています。
供えるそばは、当初は普通のそばだったが、ひな壇が豪華になるにつれ、見た目に美しい変わりそばが用いられるようになってきたといいます。

出典:麺類雑学辞典(日本麺類業団体連合会)

端午の節句にもそばを食べていました

また、端午の節句にもそばを食べる習慣が古くからあり、元禄八年(1695年)の端午の節句に、日光東照宮にそば粉が献上されたという記録があります。
「端午そば」とも呼ばれ、子供の健康、家運や長寿を祈願するため、長い「おそば」を食べることで縁起を担ぐともいわれています。

出典:そばの豆辞典

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